<行動分析のすすめ>
トラブル対応能力について考える
能力開発工学センター事務局長 小沢 秀子
1.ロス半減を可能にした行動的保全研修
−リコー沼津工場の場合
製造業各社にとって、経営環境はここ数年厳しさを増すばかりであるが、厳しさを克服する手段の一つは働く人々の能力アップであろう。例えば、製造現場のオペレータが、単に設備や機械を動かすだけでなく、そのしくみに精通し万一のトラブルや故障に迅速に対応できる能力を身につけることができれば、生産の効率は大幅にアップするに違いない。
昨年この「能力開発ニュース」(38号)でも紹介したリコー沼津工場の実践は、その好例と言える。沼津工場では、以前から現場オペレータ全員に対する保全研修に力をかけているが、ここ数年、特に「故障ゼロ、不良ゼロ」を目標に改善運動に力を入れた結果、3年間でロスをそれまでの3分の2以下に減らし、経費にして37億円の削減に成功した、という。これを可能にしたものは、機械・設備の改善にオペレータ自らが主体的に取り組んだ結果に他ならない。そしてそれを支えたのが、長年同工場が実施している自主的行動学習による保全研修なのである。同工場が「レンタカーよりマイカーへ」を合言葉に、オペレータに対する行動的保全研修に着手したのは、今から20年も前になる。この研修が、すべてのオペレータを機械や装置のしくみに精通させ、さらには改善に対する意欲を育てた結果といえる。
各社においても、トラブルや故障に対応する教育は重視されてはいるものの、その効果は必ずしも十分ではないという。教育は受けても現場の仕事に生きない。現場で起きるトラブルは、常に新しく、思いもよらないものであり、それに対応する力が育てられない。そして、教育は役に立たず、結局は長年の経験が必要、という結論になる。しかし、リコー沼津工場の例が示すように、徹底して行動する教育、学ぶ人が自ら進んで行動する教育であれば、効果は確実にあがるということに着目してほしい。
2.行動から出発する
研修の効果を確実にするとは、オペレータの一人一人が現場で起きる諸現象に的確に対応できる能力を育てるということにつきる。そのための出発点は、現場の行動である。
ここにトラブルへの対応を誤った結果、事故になってしまったという例がある。これは、ある工場で安全教育用に作成された教材ビデオの一場面である。見てみよう。
Sさんは、ある自動製造機械のオペレータである。 いつものように機械を監視していると、停止ボタンを押してもいないのに突然機械が停止して
しまった。Sさんは、機械に何か部品がはさまり、負荷がかかって停止したものと考え、定位置 停止ボタンを押して、駆動モーターのカバーをあけた。よくやるように、駆動モーターのVベルトを逆転させてはさまったものを取り除こうと考えたのである。Sさんは、停止ボタンによって、機械のモーターは停止しているものと思いこんでいた。そして、機械の下方にあるモーターのVベルトへと手をのばした。と、その瞬間に手を巻き込まれてケガをしてしまった。実はこのとき機械が停止したのは、クラッチのスリップが原因だったのである。従って、定位置停止ボタンを押しても、リミットスイッチまでカムが回転せず、駆動モーターは回転したままだったのである。
これは、機械のトラブルに対する判断ミスが事故を招いたのであるが、判断を誤った原因は何だろうか。一般にはSさんの“不注意”とされるだろう。駆動モーターが回転しているのに、停止したものとして手を入れたのであるから、確かに“不注意”である。モーターは機械の下の見にくいところにあり、暗くて回転しているかどうかも見にくい。Sさんはもっと注意してよく見なければいけなかった、のである。
しかし、“不注意”というのはどういうことだろうか。“不注意”というと、いかにもSさんの責任のように聞こえるが、厳密には、Sさんではなく、Sさんの「脳」に問題があるのであり、脳が正しく働かなかったのだと考えるべきではないだろうか。
では、Sさんの脳はどのように働くべきだったのか。学ぶ人が意欲を持って取り組む学習の実現は、ここから始まる。
3.育てるべきは「感覚」(脳の働き)
機械が突然停止した。こういう時にトラブル対応の達人であれば、どのように行動するだろうか。単純な家電機器、例えば扇風機などで考えてみよう。回転していたファンが突然止まってしまった。達人は、電源は抜けていないか、モーターも止まっているか、回転を邪魔するものがはさまってはいないか、ヒューズは切れていないか、などと次々に調べるであろう。最近の扇風機にはタイマー機能や予約機能などがついているから、それらの状態もチェックするに違いない。
このような行動が起きるのは、達人の脳に、扇風機が動くための動力源である電気や、動力を伝達する機構などの正常な状態が具体的に浮かべられているのである。この時本人は必ずしも意識していない。「機械が停止した」という現象を受け取ると、それに対応する回路が目覚め、働くのである。咄嗟のトラブルに対応する能力とは、そういう「脳」の働きなのである。
職場には、よく神様といわれる程に仕事に熟達している人がいる。どんなトラブルに対しても冴えたカンが働き、原因を究明し解決してしまう人である。その素早さと正確さから神業と思われる。本人もその経過は意識になく、まさに直感的に働くという状態である。脳がこのように素早く働くには、もちろん電気や機械についての基礎的知識が必要である。しかし、それは言葉による知識として記憶されている、ということとは違う。トラブル状態に直面するや脳がそれに対応して活発に働き必要な行動を起こす。ちょうど、自動車を運転しているときに突然前方に何かが飛び出してくれば、即座にブレーキを踏む、という行動を起こすというようなものである。それは知識というより感覚と言った方がよい。その感覚の内容を分析することで、それを育てるための行動が設計できるのである。
このように分析することを、我々は「行動分析」といっている。行動を分析することによって、学習行動の設計が可能になる。
4.脳の働きを育てるのは「行動」
感覚とは、直接電気や機械に触れ、扱い、自分の目と耳、触覚を使うことで初めて形成される。自動車を運転するための安全感覚が自動車を運転しなければ育たないように、電気や機械を扱う感覚も実際に扱わねば育たないのである。それもただ漫然と具体物に触れる、ということでは、だめである。何回も言うように、人間の脳というのは、「これは何だ?」という疑問をもち、探究し、発見し、納得する、という形で回路を形成していくのである。電気や機械についても、そういう「疑問、探究、発見、納得」の繰り返しで感覚が育つのである。
●課題に取り組む
学習者にとっての課題は、たとえば「モーターでファンを回す回路を作る」というような単純なものから始めることになる。電気回路を自分で構成する過程で、電源を扱い、回路を直流にするか、並列にするか、流す電流の量、ヒューズの機能、負荷のいろいろ(ランプ、ブザーなど)、スイッチのいろいろ(押しボタン、リレー、接点、端子など)を扱う。初めから回路を作るという目的をもって、電気を扱うことが脳を働かせることになる。
初心者が安心して実験のできる条件として、電気についていえば、200ボルトの交流電気ではなく、12ボルトの直流電気が適当と言える。学習者が恐怖心なく、自分の考えた回路を思う存分実験してみられる、という自由な環境が必要である。
●トラブルは学習のチャンス
一般に行われるトラブル対応の研修では、基礎段階は専門家による講義というのが圧倒的に多い。その上でトラブルに対応する実習をする、そして手順を覚える、というような研修である。しかし、感覚を育てるには、最初から自分で具体物を扱うということが重要である。
また、基礎的な単純な回路ではあっても、自分で考え、自分で組む、ということになると、さまざまなトラブルが発生する。それらを解決する過程で、トラブルに対応する基本姿勢が自然に身につくことになる。まさに、失敗は宝、トラブルはチャンスなのである。
●トラブル対応の論理思考をシミュレータで
実物の機器は、複合されたシステムである。しかも、現実に生産に使われている。そうした実機に対応するには、複合されたシステムを系に分解し、各系のしくみ、関連などを読みとる能力が必要となる。そうした能力を育てるためには、適切なシミュレータが必要だろうと考えている。
トラブルの現象から原因を探るには、仮説を立て事実にぶつかり、その結果から仮説を修正し、また事実にぶつかる、ということをくり返して解決に達するのであり、この考え方が身につけば、応用ができることになる。シミュレータに典型的なトラブルを準備しておいて、この思考を訓練する。この時、原因を見つけることに重点をおくのではなく、原因に至るプロセスをつかむことに重点をおくことが重要である。そうすることで、応用のきく力が育てられるのではないか。
●実物機械への挑戦
実物機械では、稼働状態のままで解析をする。見えないところもある。しかし、シミュレータで徹底研究をしていれば、見えない部分についても見当をつけることができるようになる。
シミュレータで電気や機械のしくみをつかむ方法を学び、トラブルに対応する練習をすることで、実物の機械を扱う脳の働きが育つのである。初めての機械でもしくみを調べることができるから、トラブルにも対応できることになるのだと思う。
能力は行動することで育つ。「行動」から始まり、「行動」に終わる。それがオペレータ一人一人の能力を確実に高めることになる。
リコー沼津工場の研修には、この思想が根づいている。
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