能力開発ニュース49号1999.4.5発行
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授業の準備に知恵と技術を結集する体制を―新指導要領の発表に思う

能力開発工学センター事務局長 小沢 秀子

文部省は昨年から今年にかけて新しい指導要領を発表した。これを読むと、学校を、とりわけ授業を、生徒にとって満足感あるものにしたい、という関係者の強い願いが感じられる。しかし、それを現実のものにするには授業の準備にもっともっと多くの知恵とエネルギーをかける体制が必要なのではないだろうか。

■充足感・満足感のもてる授業(実例紹介)
 人気のテレビ番組に「課外授業・ようこそ先輩」というのがある。毎週さまざまな分野で活躍している「先輩」が母校(小学校)を訪ねて授業をするというもので、授業を考えるヒントがあって面白い。
 2月最終日の「先輩」はシナリオライターの内館牧子さん、課題は「シナリオとは何か」だが、小学生にはむずかしいこの課題に彼女は「恋」を材料にして取り組ませる。はじめのうちは生徒がのってこない。内館さんが用意してきた「少年と少女の恋」をテーマにしたシナリオを子供たちに読ませようとするが、照れてみんなしり込みするばかり。
 続いての授業は、戸外に出てプールサイドや並木道などでのシナリオハンティング、教室に戻っていろいろなタイプのシナリオ、小道具の使い方などを通じてシナリオとは何かの説明。材料は「ラブシーン」。子供たちにシナリオを演じさせながら説明を加える。手応えは今一つ。内館さんが投げかける質問にもはかばかしい反応はない。
 「いやあ、大変だ。シナリオ1本書くよりずっと疲れる。まだあと半分やるのかと思うと気が重い。」中間段階の内館さんの率直な感想。
 さて、数日後生徒たちは、宿題の「ラブシーン」のシナリオを持ち寄り、グループで検討する。この時の生徒のうって変わった積極的話し合い。お互いにセリフを修正したり、追加したり。実に活発に活動している。そして生徒全員が一人一人完成させたシナリオ。それらは、内館さんを「うまいっ!」とうならせる。中から二つを選んでビデオに作り上げる。出演ももちろん生徒たち。いよいよ試写会。見つめる子供たちの真剣なまなざし。そして「オオ−ッ!」というどよめき。すばらしい出来映えにこちらまで「ヘエ−ッ!」。
 将来シナリオライターになりたくなった、という子供もいて、内館さんもにっこり。ここでようやく子供たちとの一体感が生まれた。子供たちからは質問の矢が飛ぶ。「いままでに何回ぐらい恋をしましたか?」「初恋はいつ?」「失恋したときはどうやって立ち直ったのですか?」見送られて帰る内館さんに感激の表情。
 子供たちの感想。「恋って何か恥ずかしいことのように思っていたけど、そうじゃないってことがわかった。」「僕もこれからいい恋をいっぱいしたい。」「恋もだけどいろいろな経験をしたい。」はじめの頃のしらけぶりはどこへやら、真面目で真剣な表情で語る。
 この授業は、間違いなく子供たちを感動させた。多くの子供たちが満足した。「ようこそ」の授業が毎回うまくいくというわけではないが、少なくとも子供たちの表情や目は輝いていることが多い。今回は特に感動的だった。その理由は何だろうか。

■充足感の根源はなにか
 もちろんこれはテレビ番組であり、教師役はベテランシナリオライター、教材も場づくりも贅沢なお膳立てで成り立っている。あくまで「課外」授業として、イベントとして創られている。放送された画面は編集もされている。そこに居た子供が一人残らず感動したかまではわからない。それでもこの授業にはおよそ授業がもつべき重要な真理が含まれており、それが充足感を生んでいると思われる。
 第一は、課題はシナリオについての勉強だが、その材料が『ラブシーン』という生徒にとって重いけれども興味のあるものであったこと。それが最終的には「自分の作品をつくる」(もちろんラブシーンである)という行動的課題として与えられている。「子供自身の生活とつながりがある」テーマが「行動的課題」として与えられることで、子供はこれからやることの全体像をはっきりもつことができる。
 第二は、学習活動が全体として生徒中心の行動で成り立っている、ということ。目標に到達するための学習行動として、「戸外を散策してシナリオハンティングをする」「シナリオを演じる」「自分のシナリオを創る」「創ったシナリオをグループの仲間と検討して完成させる」など。
このような活動を通じて、単にシナリオ作りのテクニックとは違う「人の心に届く表現とはどういうものか」というようなより本質的なものへの興味をかき立てられていく。もちろんこうした場面で、内館さんの豊かな経験からほとばしる表情や言葉が、有効なヒント、刺激、導入になっていることは間違いない。そして「思いを伝える」とか「思いを受け取る」といったいわば人間同士のコミュニケーションというものへの関心が生まれてくる。子供たちの最後の感想がそれを物語っている。
 要するにこの授業は、生徒の一人一人が明確な課題(全体像)をもち、精一杯の力で行動する「場」になっていたと言える。その「場」で子供たちは無限とも思える能力、感受性を発揮したのだと思う。生徒にとっての充足感とは「全力で行動すること」であり、授業はそのための「場」とならなければならない、ということをこの授業は物語っている。

■地域と連携した「授業準備センター」が必要ではないか
 さて、生徒のすべてが「全力で行動できる」授業を実現するためにはどうするか。とにかく授業の準備にエネルギーをかける必要がある。毎週の「ようこそ」授業の準備に膨大なエネルギーがかけられていることは画面からもはっきりわかる。先輩と生徒の活動が計画され、活動の場が準備され、教材や教具も十分に準備されている。これだけの準備を現在の体制で、教師に、あるいは学校に望むことが不可能であるのはわかりきっている。
 それでもあえて言いたい。すべての授業に、このエネルギーに匹敵するエネルギーをかける、その覚悟がなくては充足感ある授業は実現できない、と。番組のような授業にしろというのではない。すべての子供たちが「全力で行動」できる、そういう授業にするための準備をすべきだと言いたいのである。それは、子供に育てるべき能力(学力ではない)を明確にして、それを育てる行動のプログラムを設計することである。

 それを可能にするには、例えば「授業準備センター」というような機関を作り、教師だけではなく教材開発の研究者や専門家、それに地域に住む人々などがそれぞれの専門性を生かして、学習活動の企画、教材開発に協力する。教師の数は現在より増やして、現場で指導に当たる教師とセンターで教材開発に当たる教師とが互いに連携をとりつつ仕事をし、2年か3年ぐらいで交代するようにする。そうしたセンターが全国市町村のあちこちに必要ではなかろうか。
 なんとか授業の準備に力をかける体制はできないものだろうか。「課外授業」で目を輝かす子供たち、無限の能力と感受性を発揮する子供たちを見る度に思わせられる。

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