能力開発ニュース50号1999.6.18発行
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MD(ミニディスク)による自主的学習(1)
     −CAIの新時代到来−

           能力開発工学センター理事 井手 勝

■プロローグ
 「従来のカリキュラムは、学習者の課題という点があまり重視されていない。現代教育は上からの押しつけであり知識注入であるとよく批判され、また、しばしば先生中心でなく生徒中心でなければならないと反省もされた。その声に反して、全体の流れはますます逆の方向に走っているように思える。‥‥」
 これは、15年前に行われた故矢口 新 前所長の講演の中の言葉である。講演は続く。
「学習者一人一人が自己の課題として学習問題に取り組むことがなければ学習は成立しない。学習者側を無視したやり方が落ちこぼれをつくるのはけだし当然である。面白くもないことを学習させられるという状態を放置したままでは、教育問題は解決しない。」
「学習者が自らの課題を自主的に持ち、それで目の前の対象にぶつかっていく。そしてそれを自主的な力で解決し、そこから自分の脳の働きの規則を形成してゆく。‥‥学習者にそれを利用して自分の課題を自主的に解く学習の場を与える必要がある。‥‥」

 この学習観から導き出されるのは、学級の生徒数を減らして少人数制にするようなことではなく、学習者一人一人の立場に立つ個別学習への道を探究することである。
人は成長するにつれ、それぞれ過去の経験に支配されるようになる。同じことを見たり聞いたりしても、同じように理解することはない。ある人には簡単に理解できて記憶できることであっても、同じことが別の人にはかなり難しい問題になる。
生活習慣からでも体質からでも夜型人間も朝型人間も生まれる。毎日の生活においても昨日の夜更かしは次の日の昼の居眠りにつながる。勉強しようという気が湧いてくる時間帯も一人一人に差ができるのは当たり前である。
 それゆえ学習者一人一人がその気になったときに自由に学習が行えるよう個人を取り巻く環境を整備するのが理想的である。
 上記よりさらに15年前の1970年頃に、矢口先生はコンピュータを教育の場に利用しようとするCAI(Computer Assisted Instruction)に注目されている。「CAIなら個別学習の実現へ近づくことができるかもしれない‥‥」。しかし、それから四半世紀以上が経過した今日、パソコン教室は学校に普及するようになったが、CAIが目指した個別学習の問題は、少しも改善されているようには思えない。

■MD(ミニディスク・レコーダー)の登場
 果たしてCAIは個別学習には無力なのであろうか。ここに来て、新しい変化の兆しが見え始めているように思える。1992年にソニーによって提供されたMD(ミニディスク・レコーダー)が、CAIの新しい時代を開く有力なツールとして期待できる。
 MDは専用コンピュータの一つである。汎用コンピュータの働きがあまりにも輝いているため、我々は専用コンピュータに目を向けるのを忘れていたのではないか。専用コンピュータとは何か。ワープロがそうであると言えば、異論をはさむ人は少ないであろう。同じような意味でMDを紹介しておく。そしてこれを使用すれば、CAIに新しい時代が開けるかもしれないと期待できる。汎用コンピュータによるものと、MDによるものとの比較を別表に示す。(次頁)

 MDはウォークマンの後継機種として開発されたものであり、手軽に持ち運びができる。従って、電車の中でも「先生の話」を聞こうと思えばできる。今すでにMDを手に入れている若者、はウタダヒカルを聞いているかもしれない。しかし、大切なことはその気になりさえすれば、意志さえあれば、何時でも勉強できる環境が作られたということである。かくしてMDは、学習者の意志で学ばせる環境を作る上で有力なツールとなる。

■自学自習の有力武器、MD
 筆者は、会議の席上で仕事を割り当てられた新人が、言われたことを理解しているかどうかチェックする過程で理解していないことが判明した場合(当然、その仕事の遂行は停滞している)、MDに記録した会議の話を聞かせることにした。そのMDの内容は筆者の手により、既にカテゴリー別にセクター分割整理されているので、記録を渡された新人は自分に関係する部分だけを簡単に聞き直すことができる。しかも何回でも繰り返して。
繰り返して聞くことで、新人は自分に割り当てられた仕事の内容を、自分の力で正確に理解する。かくして仕事はめでたく遂行される。このような場面でMDは非常に効果がある。

 ここにあげた新人と、先生の話を教室で聞いている生徒は、同じ立場にあると思える。先生の話を、その時に理解するものもいるが種々の条件で理解できない生徒もいる。理解できない者に能力がないわけではない。そのもののペースで「聞き取り」という行動をさせれば、道は自然に開ける者である。このときの行動は「自学自習」ということであり、学習者の意志で学ばせることであり、「学習者一人一人が自己の課題として学習問題にとりくむこと」ではないだろうか。

 MDが提供してくれるものを一口で言えば、「それは先生の講義録」である。先生が繰り返し教室で生徒に話して聞かせていた言葉である。「読書百遍、その義らる」と言われる。MDの提供するものは、「聴話百遍、その義自ら見る」ということである。しかし、この聴話は、セクター分割されてあるので、生徒は自らの疑問や興味に応じてどこからでも繰り返せるというところが違う。必要な写真や図などはハードコピーとして提供することになる。

 MDを導入することで、先生の役割は大きく変わる。MDの製作には、多くの先生および学生が参加できる。これは汎用コンピュータを用いたCAIとの大きな違いである。また、学習指導の場面でも変化が生じる。講義はMDにまかせられるので自学する学生の質問に答えたり、学生の興味関心につきあったりすることができる。真の個別指導が可能になる。次回は、これらのことについて述べることにする。

  二つのCAIを比較する                 

 比較する項目 今までのCAI ミニディスク・レコーダー(MD)によるCAI
現場の先生が「自分でも作成できる」と感じるだろうか その構造は必ずしも見えやすくないので、困難に思われる。実際に現場の先生が作成しなくても、新たに何も新しい知識を修得しなくても、「自分でできる」と思えるものかどうかが重要。 普段教室で何度となく話している内容を録音するものであるから、うまいまずいの差はあっても、「自分で作れない」とは思わないであろう
第三者により作成されるCAI 値段も高く、修正もできず、内容の改訂もあまりない、現場と遊離した存在になりかねない 現場の先生が作成できるので、「これなら使える」と先生が認めたものだけが普及していくことになろう
短時間で制作できるものか できるとは思えない 実際には吹き込むことを若干練習する必要があるが、それがすめば吹き込むに要する数時間でこの工程は終わる
CAIを構成する主要装置 パソコンという名の汎用コンピュータ MDという、音の録音再生を扱う専用コンピュータ
1台あたりの価格 モニタも含めると20万円近くになる 一部の製品は録再機でも3万円以下になっている
保守費


ソフトの買い換えにもけっこう費用がかかる 1枚200円程度のMD盤以外、ほとんど費用はかからない
世界における普及率

相当なもの パソコンを抜くのは時間の問題だろう
内容を記述する方法(ソフトの作り方) コンピュータ用プログラム言語。従ってそれに習熟する必要がある。 日常使っている自然言語(その国の言葉)。最も習熟している言語である。
提示する内容の制御

特別なアルゴリズムを考案する必要がある。言い換えれば、教える側の論理により、ことが決められる。 本のページの区別に相当するセクター分割のみ。どのセクターを選ぶかは、教わる側の意志でも決まる。馴れれば、自分に合ったセクター構成に編集もできる。
10 文字情報の提示 モニタースクリーンに表示。音はほとんど使用されない。 文字情報に代わり、MDから音声情報として提示
11 絵で与えられる情報 動画、アイコンなどカラーでモニタースクリーンに表示 別途カラー印刷した紙に表示(本)。絵の解説はMD。動画なし。
12 一度に提示できる絵の大きさと種類 モニタースクリーンの大きさで、一度に表示できる量が制限されるのは、この方式の宿命的欠陥のように見える 比較的紙の大きさは自由に選べるので、必要な絵を同時に並べて表示できる。このことは学習者に全体像を提示するときに都合がよい
13 実用上の便利さを支配する一度に蓄積できる情報量 実用上は無制限 ディスク1枚に収容できる情報量は、現在最大160分で400字詰め原稿用紙160枚分と見なせる。将来の予想は現在の2倍。
14 MDの編集機能をパソコンで行うと サウンド・カード、ウェイブ・ファイル、サウンド・エディタと呼ばれる機能や機材を組み合わせて使用し、手順は比較的複雑 セクター分割、入れ替え、消去の機能を使用する。取り扱いは比較的簡単。
15 携帯して電車の中でも使えるか ノート型でもまず無理 使える。ソニーではウォークマンと言っている。
16 CAIに利用者は馴れるか 矢印キーと数字キーなら馴れるのに抵抗はないだろう 矢印、一時停止、編集を入れても抵抗は少ないだろう

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