能力開発ニュース52号2000.8.28発行
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学校で何を育てるか ―朝顔観察の学習から考える―


       
能力開発工学センター主任研究員 矢口 みどり

 何かが違う。学校でやっていることが人間の基礎的な力を育てることとどこかずれていると感じたのは、上の子が小学校に上がってしばらくたった保護者会の日からだった。学年主任であるベテランの担任教師は、その年から始まった生活科の授業について、その目標とどのように取り組んでいるかを報告したのち、このクラスの問題として、生徒が一鉢ずつ植えて育てている朝顔の生長が遅いということを訴えた。「原因は日当たりなんです。桜の木の陰になってしまって生長が悪い。隣りの2組はもうみんなつぼみがついているのに、1組は全然だめです。観察ができないので困っています」。
 この人はいったい何を言っているのだろう。観察ができないどころか、またとない機会ではないか。植物の生育のために日光がいかに重要な要素になっているか、それを子供たちが発見できる、観察というもののおもしろさを実感できる絶好の条件であるのに、この教師は学習の進行を遅らす困った事態ととらえているのである。彼女がいう観察とは、教科書に示されている葉のつき方や、つるの巻き方、つぼみの形やつく位置なども、きちんと抜け落ちなく確認させること。しかし、そんなことなら何も自分の鉢でなくとも、隣のクラスの朝顔でもできる。それよりも大事なのは、土も水やりも同じようにして育てているのに、自分たちの朝顔は生長が遅れているという事実を、子供たちに気づかせること、そのことを不思議だと感じさせること、そして、その理由を「考えてみよう」「調べてみよう」という気を起こさせることではないか。

 
朝顔の観察は、日本全国の小学校で取り組まれている課題で、世田谷から埼玉県の新座市に引っ越し、下の子はそこで1年生を迎えたが、スタートはやはり朝顔の観察だった。上の子の担任以上に几帳面な息子の担任は、息子の観察ノートに葉の形をもっと正確に書くようコメントした。朝1〜2cmだったつぼみが、1日で11〜12cmにまで大きくなり、翌朝開花する。その生長のエネルギーに驚いたり、小さな一粒の種から30〜40の花が咲き、200個の種が取れるのに、世の中はなぜ朝顔だらけにならないのかを話し合うこともなく、道路脇畑に育つ同じヒルガオ科の仲間のサツマイモにも関心を寄せることもなかった。朝顔観察の学習の目標は、朝顔のことを知ること、ではない。自然の生命力への驚きや不思議、対象への興味、他のものへの関心の広がり、そこから生まれるもっと知りたいという意欲、調べてみようという行動力、そういう心の動かし方や行動の姿勢をこそ育て、そのための工夫をこそ学校はするべきではないのか。

 
突入しつつあるIT時代、インターネット社会。あふれる情報の中で、いかに広い視野を持ち、いかに事実をきちんと見るか、いかに現実社会の状況と課題とを見極めるかが、ますます人間の能力として重要なものとなってくる。教科書の中だけでものを考えるような姿勢ではものの役に立たないということだ。一番始めの朝顔の学習のそのときから事実をきちんと見つめ、教室の外の現実の問題と向き合い、そこから感じ取り物事を考えていくという学習になっていなくてはならない。そして、その学習の実現のためには指導者(教師)自身が、教科書や指導書から離れ、事実を見つめてそこから考えていく姿勢を持たなくてはならない。
いくらインターネットを使っても、現実を見ずに、コンピュータ内の情報を操作するだけでは、それは教科書を学習するのと何ら変わりはない。

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